日本の建築の技術は、明らかに世界一だ。むしろ、他国を大きく引き離しているといっていいだろう。ユニットバスやキッチン・トイレなどの設備もしかり。部材の耐久性、品質へのこだわり、そしてわがままな顧客ニーズに応えるキメの細やかさは、それこそ一級品だ。ウォシュレットがこれだけ普及し、そこかしこで当たり前のように使われている国も珍しい。
それなのに、日本の住宅が諸外国と比べて貧弱だといわれるのはなぜだろうか。住宅の寿命が圧倒的に短いのはなぜだろうか。欧州などに旅行に行ったあと、日本の雑然とした街並みを見てがっかりしてしまうのはなぜだろうか。
その大きな理由としてまず、「戦争があったから」というものがある。日本の住宅に対する思想が、戦前と戦後で大きく分断されてしまっているのだ。戦後、多くの都市が焼け野原となったあとの復興プロセスでは、とにかく国民が住まうことができる住宅をたくさん造ることを第一義として、質より量を重視した政策がとられていた。
やがてこの政策は功を奏し、昭和43年には住宅数が世帯数を上回る。しかし、住宅はその後もペースを緩めることなくどんどん造られ続け、今や日本の住宅は700万戸以上も余っている状況となった。
日本全体を不動産投資の賃貸経営に例えれば、空室率はなんと12%にも達する。これは、一般的な不動産投資の世界ならかなり厳しい数字だ。
住宅を造り続けてきたのには理由がある。「国民に住宅を」だったはずの政策が、いつの間にか「景気対策の道具」として使われるようになってしまったことだ。
「土地が主役の時代」が残したもの
住宅が一つ売れると、その1.52倍の経済(GDP)が動くといわれ、例えば5000万円の住宅が一つ売れれば、7500万1億円の経済が動く。ハウスメーカーの社員や現場の職人さんなど、広義の住宅関連業界人はそれで給料をもらい、その給料を生活費やぜいたく費として使うことで経済が膨らむ。それだけではない。新居に合わせてカーテンやカーテンレールが売れたり、家電製品の買い替えもあったりする。せっかくだからと新車に買い換える人もいるだろう。
このプロセスの中で「土地価格の上昇」があり、土地が主役の時代が長く続いた。建物はともすればオマケ扱いされ、「建物は20年で価値ゼロ」などという常識が出来上がったし、国もその考え方を住宅査定の手法として推奨していた。建物の価値減少分をはるかに上回る土地価格の上昇があったから、誰も疑問に思わなかったのだ。
この、住宅価値が20年でなくなるという、他国の人が聞いたら腰を抜かしそうな常識は、現在もまだまかり通っているのが実情。「建物はそれなり」といった風潮が、いまもなお建設業界には残っているし、購入者側にも残っている。
こうして住宅が日本経済の有力な原動力として組み込まれ、そして建物がオマケ扱い、土地の従属物扱いになってしまい、それぞれの住宅の資産性や耐久性、全体としての街並みといった本当の豊かさについてはさして議論されることもなく、日本が「物質的に」豊かになっていくなかで「私権(個人の権利)」ばかりが優先された結果、日本の街並みを毀損(きそん)したのだ。
「自分がお金を払うのだから、自分の好きなようにどんな家を建ててもいいだろう」という考え方は、すっとんきょうな色の外壁の住宅を生み出し、一団の住宅地の中に和風・イタリア風・フランス風・アメリカンスタイルなどがごちゃまぜの状況をつくってしまった。街並み全体としての統一感から感じられる美しさなどは誰もケアしてこなかったし、あるいは現状に対して、さしたる有効な手を打つことができなかったのだ。
規制の厳しい街を買え
これから住宅を買う、家を建てるのなら、できるだけ規制の厳しい地域にすることだ。市区町村単位、あるいは○○町△丁目という単位で、建築規制に関する条例や協定があるか、調べてみよう。これは市区町村役場の都市計画課や建築指導課、建築審査課など、該当の部署に行けば教えてもらえる。
「この地域では、赤や青、黄色などの原色の屋根・外壁はダメ」
「外構はブロックを積むのではなく、植栽などを使った生垣とすること」
など街並みや景観に配慮した規制を持つ地域が、これからの『狙い目』といっていいだろう。
街並みや景観を意識しない、意識できない地域は今後、いつまでたっても美しい街になることはできない。そうなると住んでいての快適性はもちろん、ひいては住宅としての資産性にも大きな差がつくことになるだろう。
先日、国土交通省から発表された全国の地価公示を地域ごとに詳しく読み取ってみると、既にこの傾向は各地で表れ始めている。この傾向は今後、ますます顕著になり、二極化が進行していくだろう。
「日本を観光立国にしたい」というのは国の強い願いだ。しかし、海外から我が国に観光に来てもらおうと思ったら、まず住宅を、街並みを美しく魅力的にしなければならない。それは決して、他の国のモノマネをしようということではない。もちろん、よいところは取り入れたほうがいいに決まっているが、そこに我が国ならではのオリジナリティがあるからこそ、他国の人にとっては魅力的に映るのであり、住んでいるわたしたち自身も誇りを持てるのである。
このことは何も国がやってくれるわけではなく、わたしたち一人ひとりが心がけなければならないことだ。日本という同じ国に、運命共同体として生きているわたしたち自身が。
今、既にどこかの地域に住宅を購入して住んでいる人は、自身の地域の街並みを意識してみてはどうだろう? これから、地域単位で建築協定をつくることができるのだ。そんな動きをする人たちがどんどん増えていくことを、わたしは期待しているし、既に起こっているこのような動きを応援したいと思う。
わたしたちがより豊かに幸せになるためには、住宅の文化を醸成させなければならない。さらに言えば、住宅というものは「生活」そのものだ。「生活文化」に、より焦点を当てた考え方が大切なのだ。どんな仕事をしている人も、賃貸であれ持ち家であれ、自分が暮らす住まいや街に帰る。その「帰る場所」が快適なものであればよりいっそう、いい仕事ができるというものだろう。