東京・築地で下町情緒を残す洋品店「若松屋」(中央区築地六)が今月初め、外観をそのままにしてギャラリーに生まれ変わった。関東大震災後に建てられた銅板ぶきの「看板建築」で、空襲の被害も免れた地域のシンボルでもある。江戸から続く商売を大胆に変身させた店主は「築地の歴史を生かし、人が集まる拠点になれば」と話した。 (中山洋子)若松屋は、築地本願寺の裏手で少なくとも十八世紀から続く老舗。あい染め屋に始まり、足袋店などを経て、戦後は洋品店として代々、商店を営んできた。現在の建物は築約八十年になる。
「看板建築」とは、関東大震災後に再建された商店にみられる“プチ洋風”の建築様式で、建物の前面が平たく、銅板などで仕上げているのが特徴。近年、急速に姿を消していく中で、若松屋は現存する数少ない「看板建築」の一つとして多くの人に愛されてきた。
店主の佐藤昌弘さん(70)は「戦争中には焼夷(しょうい)弾も落ちたが、近所の人たちが銭湯の水をくんでバケツリレーで消火してくれた」と振り返る。
だが、奇跡的に焼け残った建物も老朽化は進み、職人の高齢化が進む繊維業の限界も感じたという。一方で、建築関係者から保存を求める声も多く、「だったら、全く違うことをしよう」と一念発起。九月中旬に洋品店を閉めて改築を始め、外観はそのままに耐震補強を施し、「つきじTASSぎゃらりー若松屋」を六日にオープンした。
佐藤さんは「築地で再び新しい文化が育ってほしい」と力を込める。
明治初期、すぐ近くの中央区明石町には「築地居留地」があり、かいわいは東京における流行の発信地だった。ギャラリー経営に無縁だった洋品店店主の大胆な“転身”には、「文明開化の地」という地域の誇りが原動力となっている。
下町散策を楽しむ女性客など、予想外に多くの来館者がいるといい「アートに関心のある方が多くてびっくりした」と顔をほころばせる。
改築した建物の壁面には時を経た緑青の銅板だけではなく、真新しい銅板もふかれている。佐藤さんは「この銅板も、潮風を受けて築地とともに歩んでいく」と、“新生若松屋”に目を細めた。
日祝休館。問い合わせは、同ギャラリー=(電)03(3541)0124=まで。
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